2021年11月の記事一覧
共生社会
校内である先生と話している中での話題です。
筆談です。聴こえない人、聴こえにくい人への配慮として認識されています。
「手話はできないけれど、筆談なら大丈夫!」と多くの人は考えます。では、筆談は聴こえない人、聴こえにくい人に対して、十分な配慮と言えるのでしょうか?
皆さんは、「日本語、どのように習得しましたか?」と聞かれて、「自然と話せるようになっていた」とか・・・・。なぜ自然と習得できたのか?聴こえていたからです。産まれてから、毎日日本語を聴く環境にあったからです。だから、いつのまにか意味を理解できるようになり、お話ができるようになった。そして、文字をおぼえて書くことができるようになりました。聴覚の障害で日本語を聴ける環境にない人は、どのように日本語を習得するのでしょうか?「日本人だから日本語ができる」は思い違いです。(聴こえない人、聴こえにくい人は日本語ができない、と言っていることではありません。認識が間違いであると伝えたいのです。)そんな思い違いがたくさんあります。これは、障害のある方に対してだけでなく、本当に身近にある人間関係の中にもあるのではないでしょうか。そんな思い違いをなくしていくことが『共生社会』へ至る道だと考えます。